64代 |
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曙 太郎 |
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| 所属部屋 | 東関部屋 |
| 本名 | ローウェン・チャド・ジョージ・ハヘオ→曙太郎 |
| 生年月日 | 昭和44年5月8日 |
出身地 |
米国ハワイ州オアフ島 |
| 四股名改変 | 大海→曙→曙 |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 昭和63年3月場所 |
| 十両昇進 | 平成2年3月場所 |
| 新入幕 | 平成2年9月場所 |
| 大関昇進 | 平成4年7月場所 |
| 横綱昇進 | 平成5年1月 |
| 最終場所 | 平成13年1月場所 |
| 幕内在位 | 63場所 |
| 幕内通算 | 566勝198敗181休 |
| 勝率 | 0.741 |
| 優勝 | 11回 |
| 三賞 | 殊勲賞4回、敢闘賞2回 |
| 身長 | 203cm |
| 体重 | 235kg |
| 得意手 | 突き出し、押し出し、右四つ |
| 年寄名 | 曙→平成15年11月5日退職 |
| 没年月日 | 令和6年4月 |
| 史上初の外国人横綱として知られる。ハワイの大学でバスケットに打ち込んでたがコーチとの折り合いが悪く3ヶ月で中退してしまう。その直後に東関親方(元関脇高見山)にスカウトされ来日。後にライバルとなる貴乃花、3代目若乃花とともに初土俵を踏んだ。入門以来18場所連続勝ち越しという快挙を成し遂げ平成4年夏場所に念願の初優勝を果たし場所後へ大関へ昇進するも新大関の場所は足の親指を骨折して氷で冷やして強行出場を図ったが無念の休場と翌秋場所は突然の角番を迎え早々に大関陥落確実とまで報道されるもその屈辱から奮起して9勝6敗と勝ち越しを決めて陥落を阻止すると今度は突っ張りの電車道と一方的な相撲から2場所連続優勝を制し史上初の外国人横綱となり平成4年夏場所からの横綱空位をわずか4場所で穴を埋めた。横綱昇進後はライバル貴ノ花を寄せ付けず独走が続いたが後に膝を悪くするなどで休場があったりとその隙を当時大関であった貴ノ花が力を付けて平成6年11月場所千秋楽結びの一番は歴史に残る大一番となり3年振りに東西に横綱が揃うと「曙貴時代」が本格的に到来し直接対決で優勝を争ったが腰や膝の負傷で平成9年夏場所から優勝から遠ざかったがその間に結婚して2児の父となり12年名古屋場所に19場所振りの優勝を果たし結婚後初の優勝となった。この時弟弟子の高見盛が優勝パレードの旗手となり「夢のようだ」と言葉を残した。しかしその直後のその年の九州場所の優勝を最後に翌平成13年初場所は以前からの膝は悪化し全休のまま再び土俵へ上がることなく引退しこの時は歩くのがやっとだったらしい。 引退後は年寄曙として高見盛と潮丸を一人前に育て親方として期待されるも平成15年九州場所に突然の退職を表明し総合格闘家へ転向した。 vs貴乃花 |
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