63代 |
|
旭富士 正也 |
|
| 所属部屋 | 大島部屋 |
| 本名 | 杉野森正也 |
| 生年月日 | 昭和35年7月6日 |
出身地 |
青森県つがる市木造曙 |
| 四股名改変 | 杉野森→旭富士 |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 昭和56年1月場所 |
| 十両昇進 | 昭和57年3月場所 |
| 新入幕 | 昭和58年3月場所 |
| 大関昇進 | 昭和62年11月場所 |
| 横綱昇進 | 平成2年7月 |
| 最終場所 | 平成4年1月場所 |
| 幕内在位 | 54場所 |
| 幕内通算 | 487勝277敗35休 |
| 勝率 | 0.637 |
| 優勝 | 4回 |
| 三賞 | 殊勲賞2回、敢闘賞2回、技能賞5回 |
| 身長 | 189cm |
| 体重 | 143kg |
| 得意手 | 右四つ、寄り切り、上手出し投げ |
| 年寄名 | 旭富士→安治川→伊勢ヶ浜→宮城野 |
| 没年月日 | |
| 五所川原高校3年の時に国体で団体優勝し、個人でも3位となり近大進学後も新人戦タイトルを獲得するも相撲部の団体生活に馴染めず2年で中退し帰郷し親戚の漁業を手伝いながら地元で細々と相撲を続けてた時に大島親方(元大関旭国)にスカウトされて入門した。前相撲からのスタートで初土俵からわずか7場所で十両昇進。「津軽なまこ」と言われた柔軟な体つきに強じんな足腰と素質には非常に恵まれた。関脇時代に3場所連続技能賞を獲得し大関へ昇進も2場所目に優勝を果たし以後は優勝同点など常に優勝争いに加わるも決定戦の内容から横綱昇進を見送られそれからはすい臓炎の再発もあって約1年勝ち越すのがやっとであったが、体調が戻った平成2年夏場所と名古屋場所に宿敵とも言える横綱千代の富士(故人)を倒して年齢は30歳となってようやく横綱へ昇進し不知火型の土俵入りを披露するも昇進後は新横綱の場所に北勝海(現八角親方)と優勝を争うも賜杯を取られ結局横綱としては千代の富士が引退し北勝海と大乃国(現芝田山親方)が休場と1人横綱の重責から平成3年夏場所結びの一番に大関小錦を本割と決定戦と連勝し優勝を果たすもその後はすい臓炎の悪化も災い更には「稽古嫌い」というレッテルを貼られ横綱在位わずか9場所で引退は余力を残したところ。 引退後は安治川部屋を継承し平成20年1月に伊勢ヶ浜部屋と改め、日馬富士、安美錦を育て現在は伊勢ヶ浜部屋として名門復活を図るも横綱日馬富士が不祥事により引退し、理事を辞任。 平成2年名古屋場所千秋楽、vs千代の富士 平成3年夏場所千秋楽、優勝決定戦vs小錦 |
|