46代 |
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朝潮 太郎 |
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| 所属部屋 | 高砂部屋 |
| 本名 | 米川文敏 |
| 生年月日 | 昭和4年11月13日 |
出身地 |
鹿児島県大島郡徳之島町亀津 |
| 四股名改変 | 米川→朝潮→朝汐→朝潮 |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 昭和23年10月場所 |
| 十両昇進 | 昭和25年9月場所 |
| 新入幕 | 昭和26年1月場所 |
| 大関昇進 | 昭和32年5月場所 |
| 横綱昇進 | 昭和34年3月 |
| 最終場所 | 昭和37年1月場所 |
| 幕内在位 | 48場所 |
| 幕内通算 | 431勝248敗101休 |
| 勝率 | 0.635 |
| 優勝 | 5回 |
| 三賞 | 殊勲賞4回 |
| 身長 | 188cm |
| 体重 | 135kg |
| 得意手 | 左四つ、寄り切り |
| 年寄名 | 朝潮→振分→高砂 |
| 没年月日 | 昭和63年10月23日 |
| 巨人型ではない巨漢である「鶏を小屋へ追い込むよう」と形容された両ハズ押しから左四つ、右上手を引いての攻めは鬼に金棒といわゆる「鳥追いの型」になると強いと言われたがふところに飛び込まれると信じられないくらいもろい負け方であることから「強い朝潮と弱い朝潮と2人居る」と言われるほどであった。強い時は若乃花や栃錦を倒すほど強く弱いときは序盤連敗から途中休場の弱さであった。それも腰痛や脊椎分離症に寄るものとも言われた。優勝は5回のうち4回が春場所で春場所に強く「大阪太郎」とも言われた。引退後は年寄振分から高砂部屋を継承し、高見山、富士桜を一人前に育て、大関朝潮、大関小錦を育て上げたが停年を待たずに没した。 | |