40代 |
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東富士 欽壱 |
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| 所属部屋 | 高砂部屋 |
| 本名 | 井上謹一 |
| 生年月日 | 大正10年10月28日 |
出身地 |
東京都台東区台東 |
| 四股名改変 | |
| 所属部屋改変 | 富士ヶ根→高砂 |
| 初土俵 | 昭和11年1月場所 |
| 十両昇進 | 昭和17年1月場所 |
| 新入幕 | 昭和18年5月場所 |
| 大関昇進 | 昭和20年11月場所 |
| 横綱昇進 | 昭和23年10月 |
| 最終場所 | 昭和29年9月場所 |
| 幕内在位 | 31場所 |
| 幕内通算 | 261勝104敗2分54休 |
| 勝率 | 0.715 |
| 優勝 | 6回 |
| 身長 | 179cm |
| 体重 | 178kg |
| 得意手 | 左四つ、寄り切り、上手出し投げ |
| 年寄名 | 錦戸→昭和29年12月廃業 |
| 没年月日 | 昭和48年7月31日 |
| 史上初の江戸っ子横綱。巨体を生かした「怒涛の寄り」と右上手出し投げは一世を風靡した。幕下の頃から双葉山にかわいがられ「キン棒」と呼ばれ力を付けさせてもらった。19年秋場所でその双葉山を下手投げで倒し見事に恩返しをする。更には実力ナンバーワンといえた横綱羽黒山を左四つの大相撲の末破り2横綱から白星を奪い9勝1敗と優勝同点とした。次の昭和20年夏場所も十勝岩に不覚を喫しながら羽黒山に飼って6勝1敗と大関昇進を果たす。翌21年に秋田県十文字巡業で因州山との稽古中に右足首を骨折・脱臼するも翌秋場所は上位陣の球場力士が多いばかりに強行出場も後の土俵に影響を及ぼした。昭和23年夏場所に初優勝を果たし翌秋場所に優勝同点で横綱へ昇進。24年春場所には浜町に仮設の国技館が建設され大相撲が久し振りに下町へ戻り新たな江戸っ子横綱誕生から人気回復の兆しが見られる。必殺の上手出し投げで相手を圧倒するなどで6回優勝を果たしている。ところが連続優勝と全勝優勝が1度もなかった。引退後は年寄富士ヶ根を襲名するも年寄名跡のゴタゴタからあっさり廃業しプロレスへ転向するも成功とは言いがたく奥さんと飲み屋を経営するも潰れてしまい51歳で急死。 | |