36代 |
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羽黒山 政司 |
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| 所属部屋 | 立浪部屋 |
| 本名 | 小林正治 |
| 生年月日 | 大正3年11月18日 |
出身地 |
新潟県新潟市羽黒 |
| 四股名改変 | |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 昭和9年1月場所 |
| 十両昇進 | 昭和12年1月場所 |
| 新入幕 | 昭和12年5月場所 |
| 大関昇進 | 昭和15年1月場所 |
| 横綱昇進 | 昭和16年6月 |
| 最終場所 | 昭和28年9月場所 |
| 幕内在位 | 39場所 |
| 幕内通算 | 321勝94敗1分117休 |
| 勝率 | 0.773 |
| 優勝 | 7回 |
| 身長 | 179cm |
| 体重 | 129.5kg |
| 得意手 | 左四つ、寄り切り、つり出し、上手投げ |
| 年寄名 | 立浪 |
| 没年月日 | 昭和44年10月14日 |
| 戦後の昭和20年秋から22年秋に掛けて4連覇の快挙を成し遂げ双葉山引退の穴埋めを果たした名横綱。初土俵から6場所で入幕。その間の十両までは各段1場所で通過。 故郷新潟から上京し両国で叔母が経営する銭湯「旭湯」を手伝っていたところ元小結緑島の当時の立浪親方にスカウトされ入門。兄弟子の双葉山、名寄岩の胸を借りて強くなった。双葉山の「柔」とは対照的に筋骨たくましい鉄骨やぐらと形容され金剛力士のような体格で怪力相撲で両前褌を取って頭を突けて寄る取り口、左四つ、右上手を引いての寄り吊り、上手投げを得意とした。 小結2場所、関脇1場所で大関となり大関4場所目に初優勝を果たし横綱となる。戦後双葉山引退から4連覇の快挙を成し遂げるも23年3月に奈良県五條市の巡業先で右足アキレス腱を切断し同年夏場所休場後北海道巡業に参加し再び痛めてしまい再起の場所は昭和24年夏場所。昭和27年春場所には全勝で7度目の優勝を飾るも結局最後の優勝となる。師匠の死後二枚鑑札で部屋を継承、時津風を助けるなどと貢献した。 |
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