9代 |
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秀ノ山 雷五郎 |
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| 所属部屋 | 秀ノ山部屋 |
| 本名 | 橋本辰五郎 |
| 生年月日 | 文化5年 |
出身地 |
宮城県気仙沼市最知川原 |
| 四股名改変 | 北山→秀ノ山 |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 文政11年3月場所新序 |
| 新入幕 | 天保 8年正月場所 |
| 大関昇進 | 天保12年 3月場所 |
| 横綱昇進 | 弘化2年9月 |
| 最終場所 | 嘉永3年3月場所 |
| 幕内在位 | 27場所 |
| 幕内通算 | 112勝21敗33分2預96休 |
| 優勝 | 6回 |
| 身長 | 164cm |
| 体重 | 135kg |
| 年寄名 | 秀ノ山 |
| 没年月日 | 文久2年5月19日 |
| 歴代横綱としては164cmと最も背が低い横綱。16歳の時に志望するも当時は150cmとあらゆる部屋で入門を断られながら伊勢ノ海の弟子となるも相手にされず一時帰郷。17歳から3年間足利の油問屋で奉公しながら160cmに伸びるのを待ち今度は文政11年(1828)に秀ノ山の弟子となり北山の四股名で初土俵。小走りや飯炊きが多かった中で怪力の落ち主であるもの単身の割に体重が多く横にもろかったのを分類の稽古で克服。その後、立美、岩見潟と改め天保15年冬から秀ノ山となり横綱に推挙された。強剛ながら苦手力士も居たが横綱級の強剛大関に強かった。引退後は年寄を務めながら陣幕久五郎を育てた功績は大きいといわれる。 | |