42代 |
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鏡里 喜代治 |
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| 所属部屋 | 時津風部屋 |
| 本名 | 奥山喜世治 |
| 生年月日 | 大正12年4月30日 |
出身地 |
青森県三戸郡三戸町斗内 |
| 四股名改変 | |
| 所属部屋改変 | 粂川→双葉山→時津風 |
| 初土俵 | 昭和16年1月場所 |
| 十両昇進 | 昭和20年11月場所 |
| 新入幕 | 昭和22年6月場所 |
| 大関昇進 | 昭和26年5月場所 |
| 横綱昇進 | 昭和28年1月 |
| 最終場所 | 昭和33年1月場所 |
| 幕内在位 | 38場所 |
| 幕内通算 | 360勝163敗28休 |
| 勝率 | 0.668 |
| 優勝 | 4回 |
| 三賞 | 殊勲賞1回、敢闘賞1回 |
| 身長 | 174cm |
| 体重 | 161kg |
| 得意手 | 右四つ、寄り切り、上手投げ |
| 年寄名 | 鏡里→粂川→立田川→時津風→立田川→二十山→昭和63年4月定年退職 |
| 没年月日 | 平成16年2月29日 |
| 元大関・鏡岩の粂川親方にスカウトされて入門。後に双葉山道場へ移籍して運気開花。相撲人形のような太鼓腹で右四つで前へ出る正攻法の取り口。三段目までは順調な出世だったが膝を痛めてしばらく尾を引く。そこから取り口を四つに変えて関取へと昇進。昭和24年10月場所に12勝3敗と好成績を上げてからは順調に横綱へ上り詰めた。吉葉山との相撲は江戸時代の相撲のようなガップリ四つが生きた相撲であった。また、入幕以降は全休が1回、途中休場が2回しかなく安定した成績を残した。最後となった昭和33年1月場所は9勝6敗と勝ち越すも「2桁勝てなかったら引退」と場所前に宣言したことから守る形で引退と横綱が最終場所に千秋楽までの皆勤出場は異例の話であった。引退後は粂川、立田川を経て一時時津風を継承するも元大関豊山に譲り立田川へ戻り部屋を興し北海道森町出身の森乃里を十両まで育てたが結局森乃里が自身が育てた雄一の関取となる。 | |