| 72代 | |
| 稀勢の里 寛 | |
| 所属部屋 | 田子ノ浦部屋 |
| 本名 | 萩原 寛 |
| 生年月日 | 昭和61年7月3日 |
出身地 |
茨城県牛久市 |
| 四股名改変 | 萩原→稀勢の里 |
| 所属部屋改変 | 鳴戸→田子ノ浦 |
| 初土俵 | 平成14年3月場所 |
| 十両昇進 | 平成16年5月場所 |
| 新入幕 | 平成16年11月場所 |
| 大関昇進 | 平成24年1月場所 |
| 横綱昇進 | 平成29年1月 |
| 最終場所 | 平成31年1月場所 |
| 幕内在位 | 85場所 |
| 幕内通算 | 714勝446敗97休 |
| 勝率 | 0.612 |
| 優勝 | 2回 |
| 三賞 | 殊勲賞5回、敢闘賞3回、技能賞1回 |
| 身長 | 188cm |
| 体重 | 178.0kg |
| 得意手 | 突き、押し、左四つ、寄り |
| 年寄名 | 荒磯→二所ノ関 |
| 没年月日 | |
| 17歳で新十両、18歳で新入幕を果たし、有望と言われ、琴欧洲、豊ノ島に遅れをとるも、関取昇進から有望視されるも上位の壁に幾度も跳ね返され、琴欧洲、日馬富士、把瑠都に先を越され三役で苦戦し平幕で二桁との往復を繰り返し、平成20年1月場所2日目に横綱朝青龍を送り出しで制し初金星、そして双葉山の69連勝を超えるかの期待となった平成22年11月場所2日目に横綱白鵬を寄り切りで制し連勝を63で止めるという歴史に残る快挙を残した。 そして平成23年7月場所は琴奨菊とともに大関争いに挑む中での10勝、翌9月場所は12勝、そして翌11月場所前に、当時の師匠の前鳴戸親方(元横綱隆の里)が急死という衝撃を乗り越えた場所は14日目時点で10勝となり満場一致での大関昇進となる。 伝達式では故鳴戸親方の遺影が見守る中で「大関の名を汚さぬよう、精進します」と口上を述べた。大関昇進後は常に2桁を守るも部屋の騒動などで十分に稽古ができなかったこともあり、優勝そして綱取りを逸する事も多く序盤で下位に取りこぼすケースが多かったが、平成28年は常に優勝争いに立つもやはり優勝を逸しながらも年間最多勝となって、その年の九州場所は12勝3敗と優勝次点、そして平成29年初場所は14勝1敗で初優勝、そして場所後に念願の第72代横綱昇進を果たし、日本出身としては19年振りとなり貴乃花以来22年振りの新横綱優勝を果たした。しかし、新横綱の平成29年春場所終盤に左上腕を負傷してから思うような相撲を取れず貴乃花を抜き8場所連続休場とワースト記録を塗り替えるも平成30年秋場所は10勝と見事な復活となるも翌九州場所は4連敗で休場とよく平成31年初場所に進退を懸け挑むも3連敗と歴代7位の短命横綱に終わる。 引退後、田子ノ浦部屋から独立し、荒磯部屋を創設し、令和3年12月に二所ノ関部屋に改め、年寄二所ノ関を襲名する。 また、稀勢の里については、大相撲こんな事・19年振りに日本人横綱が刻印された東京は富岡八幡宮を再訪、東京両国は野見宿祢神社再びもご覧ください。 平成22年九州場所2日目vs横綱白鵬 |
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