清国 忠雄 |
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| 所属部屋 | 伊勢ヶ濱部屋 |
| 本名 | 佐藤忠雄 |
| 生年月日 | 昭和16年11月20日 |
出身地 |
秋田県湯沢市横堀 |
| 四股名改変 | 若い国→梅ノ里→清国 |
| 所属部屋改変 | 荒磯→伊勢ヶ濱 |
| 初土俵 | 昭和31年9月場所 |
| 十両昇進 | 昭和38年5月場所 |
| 新入幕 | 昭和38年11月場所 |
| 大関昇進 | 昭和44年7月場所 |
| 最終場所 | 昭和49年1月場所 |
| 幕内在位 | 62場所 |
| 幕内通算 | 506勝384敗31休 |
| 勝率 | 0.569 |
| 優勝 | 1回 |
| 三賞 | 殊勲賞3回、技能賞4回 |
| 身長 | 182cm |
| 体重 | 134kg |
| 得意手 | 左四つ、寄り切り、押し出し |
| 年寄名 | 楯山→伊勢ヶ濱→平成18年11月定年退職 |
| 没年月日 | |
| 未だ破られることがない32回の優勝記録を持つ大横綱大鵬と同期入門。下積みが長く同期の大鵬にもすでに追い抜かれてたが右からの強烈な追っ付けを武器とし地道な努力が実り昭和38年九州場所22歳にして新入幕を果たす。入幕2場所目は初日から14連勝から千秋楽に関脇大豪にぶつけられて優勝を逸した。そこから同期の大鵬に1歩でも近づこうという努力が直接対決11回目の昭和41年夏場所初日、見事に打倒大鵬をクリアした。その3年後の昭和44年名古屋場所に大関昇進を果たし平幕・藤の川(現伊勢ノ海親方)との優勝決定戦を制して初優勝となる。その後横綱も夢でなかったが首をいためたり病気もあって昭和49年初場所に引退し師匠の死後に伊勢ヶ濱部屋を継承し小結・黒瀬川(現桐山親方)、幕内・神幸、斉須、若瀬川ら個性派力士を育てるが、昭和60年8月12日に起きた日航機123便墜落事故で妻子を失い低迷に陥るも理事を務めたが後にその個性派力士も相次いで引退し最後は序ノ口・序二段力士合わせて弟子は2人となってしまいここまで衰退したかという状況から平成18年11月19日に停年を迎え元和晃の若藤親方に譲るもわずか1場所で弟子の元黒瀬川の桐山部屋へ吸収された。 | |