39代 |
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前田山 英五郎 |
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| 所属部屋 | 高砂部屋 |
| 本名 | 萩森金松 |
| 生年月日 | 大正3年5月4日 |
出身地 |
愛媛県八幡浜市保内町喜木 |
| 四股名改変 | 喜木山→佐田岬→前田山 |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 昭和4年1月場所 |
| 十両昇進 | 昭和9年1月場所 |
| 新入幕 | 昭和12年1月場所 |
| 大関昇進 | 昭和13年5月場所 |
| 横綱昇進 | 昭和22年6月 |
| 最終場所 | 昭和24年10月場所 |
| 幕内在位 | 27場所 |
| 幕内通算 | 206勝104敗39休 |
| 勝率 | 0.665 |
| 優勝 | 1回 |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 116.5kg |
| 得意手 | 突っ張り、左四つ、つり出し |
| 年寄名 | 高砂 |
| 没年月日 | 昭和46年8月17日 |
| 戦後第1号横綱。トレードマークの右腕の傷跡は若い頃に骨髄炎に患い前田和三郎博士に手術してもらい奇跡的に回復した。前田山という名は三段目から出直したときに恩人・前田博士から取って襲名したもの。昭和12年春場所に新入幕を果たし3場所目の新小結となり11日目の横綱玉錦を取り直しの末破り11勝2敗と場所後は関脇を飛び越えて大関へ昇進する。その後昭和22年夏場所まで9年18場所にわたり大関を務め昭和22年夏場所に32連勝中の羽黒山に水入り後のさば折りで土を付けこの場所から導入仕立ての優勝決定戦に進出し横綱昇進は33歳だった。横綱となってからは振るわず怪我や病気が重なり24年秋場所を途中休場して後楽園球場で日米野球を観戦したことが重なり引退へ追い込まれ横綱在位はわずか6場所に終わる。現役中から二枚鑑札で高砂部屋を継承し横綱朝潮、高見山、富士桜らを育て大相撲国際化の第1歩となったハワイからの高見山のスカウトの功績は大きい。 | |