57代 |
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三重ノ海 剛司 |
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| 所属部屋 | 出羽海部屋 |
| 本名 | 石山五郎 |
| 生年月日 | 昭和23年2月4日 |
出身地 |
三重県松坂市本町 |
| 四股名改変 | 石山→三重ノ海 |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 昭和38年7月場所 |
| 十両昇進 | 昭和44年3月場所 |
| 新入幕 | 昭和44年9月場所 |
| 大関昇進 | 昭和51年1月場所→昭和51年7月場所関脇へ陥落→昭和51年9月場所大関へ復帰 |
| 横綱昇進 | 昭和54年7月 |
| 最終場所 | 昭和55年11月場所 |
| 幕内在位 | 68場所 |
| 幕内通算 | 543勝413敗1分5休 |
| 勝率 | 0.568 |
| 優勝 | 3回 |
| 三賞 | 殊勲賞5回、敢闘賞1回、技能賞3回 |
| 身長 | 181cm |
| 体重 | 135kg |
| 得意手 | 左四つ、寄り切り、上手出し投げ |
| 年寄名 | 山科→武蔵川(平成25年2月3日停年退職) |
| 没年月日 | |
| 肝炎を克服して大関昇進を果たすも全くの鳴かず飛ばずと1度大関を陥落し大関復帰後も不振と現役を危ぶまれたが角番となった昭和52年九州場所中日に横綱輪島を狂ったように張りまくり白星を飾ってからは取り口が変身する。立ち合いから左を差すや一気に前へ出る取り口へと変り、31歳で横綱へ昇進。横綱昇進後も連続優勝も1度の全勝優勝を果たし活躍振りも見せたが横綱はわずか8場所で引退。引退後は分家許さずと言われた出羽海部屋から独立し武蔵川部屋を興し武蔵丸(現武蔵川親方)、武双山(現藤島親方)、出島(現大鳴戸親方)、雅山(現二子山親方)など1横綱3大関を育てる中でも学生相撲出身力士の入門が殺到し黄金時代を築き上げる。平成18年2月の改選で事業部長に就任するも平成20年8月に若ノ鵬、露鵬、白露山の大麻騒動により責任を取り平成20年9月の秋場所直前に退陣した北の湖の後任で理事長に就任するも、平成22年名古屋場所前に起きた野球賭博に絡み責任を取り任期途中で退陣しその直後の同年9月30日を以って元大関武双山へ部屋を譲り藤島部屋と改まった。 | |