34代 |
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男女ノ川 登三 |
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| 所属部屋 | 佐渡ヶ嶽部屋 |
| 本名 | 坂田供次郎 |
| 生年月日 | 明治36年9月17日 |
出身地 |
茨城県つくば市磯部 |
| 四股名改変 | 男女ノ川→朝潮→男女ノ川 |
| 所属部屋改変 | 高砂→佐渡ヶ嶽→高砂→佐渡ヶ嶽 |
| 初土俵 | 大正13年1月場所 |
| 十両昇進 | 昭和2年1月場所 |
| 新入幕 | 昭和3年1月場所 |
| 大関昇進 | 昭和9年5月場所 |
| 横綱昇進 | 昭和11年2月 |
| 最終場所 | 昭和17年1月場所 |
| 幕内在位 | 35場所 |
| 幕内通算 | 247勝136敗1分37休 |
| 勝率 | 0.645 |
| 優勝 | 2回 |
| 身長 | 191cm |
| 体重 | 146kg |
| 得意手 | 左四つ、割り出し、小手投げ |
| 年寄名 | 男女ノ川→昭和20年6月廃業 |
| 没年月日 | 昭和46年1月20日 |
| 当初、富士ヶ根部屋への入門予定が関東大震災で焼失し本家の高砂部屋へ預けられスカウトした阿久津川の佐渡ヶ嶽部屋へ入門。後に本家佐渡ヶ嶽部屋へ引き抜かれ、三代目朝潮を襲名し期待され長身の巨体からの突っ張りは強烈であった。春秋園事件で一時脱退したが昭和8年1月に復帰。四股名も男女ノ川へ戻り横綱へ昇進。優勝争いとなったのは昭和14年春の1場所だけで13年5月場所には6勝7敗と皆勤で負け越すなど振るわず引退。一代年寄となるが終戦と共に廃業。代議士に立候補するも落選。私立探偵、不動産など職業を転々とし最後は料亭の下足番となった。 | |