67代 |
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武蔵丸 光洋 |
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| 所属部屋 | 武蔵川部屋 |
| 本名 | フィヤマル・ベニタニ→武蔵丸光洋 |
| 生年月日 | 昭和46年5月2日 |
出身地 |
米国ハワイ州オアフ島 |
| 四股名改変 | |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 平成元年9月場所 |
| 十両昇進 | 平成3年7月場所 |
| 新入幕 | 平成3年11月場所 |
| 大関昇進 | 平成6年3月場所 |
| 横綱昇進 | 平成11年5月 |
| 最終場所 | 平成15年11月場所 |
| 幕内在位 | 73場所 |
| 幕内通算 | 706勝267敗115休 |
| 勝率 | 0.726 |
| 優勝 | 12回 |
| 三賞 | 殊勲賞1回、敢闘賞,1回、技能賞2回 |
| 身長 | 190cm |
| 体重 | 237kg |
| 得意手 | 突き出し、押し出し、右四つ |
| 年寄名 | 武蔵丸→振分→大島→武蔵川 |
| 没年月日 | |
| 55場所連続勝ち越しを持つ「西郷どん」。負け越しは幕下時代に1度だけ。突き押しの破壊力を持ち新入幕からあっという間に関脇へ上り詰めて一気に大関かと思いきや、ここから9場所も足踏みをする。これまで、千秋楽にようやく勝ち越しを決めたりもろさがまともに出る事も多かったがようやく奮起したのは平成5年九州場所から翌初場所に掛けて3場所の成績が見事に33勝に到達して貴ノ浪(故人)と共に大関へ昇進。大関昇進からも怪力を発揮し貴ノ浪と共に優勝を争い良きライバルだった。大関昇進直後のの平成6年名古屋場所には全勝優勝を果たし一気に横綱かと思われながらそこからまた足踏みをするも常に2桁勝利を守ることが多く平成11年春と夏に連続優勝を果たし見事横綱へ昇進。武双山(現藤島親方)や出島、雅山と共に武蔵川黄金時代を築いた。横綱昇進後は平成12年初場所に左手首の剥離骨折により休場と連続勝ち越しが止まった。それからも常に貴乃花と共に優勝争いに加わり、双葉山に並ぶ12回の優勝と前人未到の記録も作った。また、平成13年名古屋場所から14年秋場所まで貴乃花の休場で1人横綱を重責を担い3度の優勝も立派なもの。貴乃花引退と共に朝青龍が横綱へ昇進するもこの時から左手首の具合が悪化し平成15年九州場所、ついに力尽きた。 引退後年寄武蔵丸を襲名後、振分、大島を経て、武蔵川を襲名し武蔵川部屋を再興。 対貴乃花 |
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