5代 |
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小野川 喜三郎 |
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| 所属部屋 | 玉垣部屋 |
| 本名 | 川村喜三郎 |
| 生年月日 | 宝暦8年 |
出身地 |
滋賀県大津市京町 |
| 四股名改変 | |
| 所属部屋改変 | 京都・草摺→大坂・小野川→玉垣→雷→玉垣 |
| 初土俵 | 安永4年6月 安永8年10月二段目付出 |
| 新入幕 | 安永10年 3月場所 |
大関昇進 |
寛政 2年 3月場所 |
| 横綱昇進 | 寛政元年11月場所 |
| 最終場所 | 寛政9年11月場所 |
| 幕内在位 | 23場所 |
| 幕内通算 | 144勝13敗4分10預3無40休 |
勝率 |
0.917 |
| 優勝 | 7回 |
| 身長 | 178cm |
| 体重 | 135kg |
| 年寄名 | 江戸・小野川 |
| 没年月日 | 文化3年3月12日 |
| 谷風と同じに横綱に推挙された。谷風との対戦成績は3勝6敗2預3分という成績。特に天明2年(1782)春7日目の対戦では、前日まで63連勝の谷風に対して突きまくることなく左で足すくい仰向けに点じて連勝記録をとめるという快挙となる。当にライバル谷風との対戦の日は朝の5時に満員札止めとなったという。38歳で肩を骨折し谷風が現役中に急死したこともあって気落ちし雷電には2敗2預かりだった。 久留米有馬藩をかかえ、引退後は大坂で水茶屋「小野川」を経営。大坂相撲頭取となったという説と、江戸年寄小野川として江戸に永住したという2説があるという。 |
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