本格的旅行再開第1段となりましたこの旅の幕開けは日帰り枠の旧厚田村は石狩市へと中央バス日本海るもい号で向かいました。
約2時間にして旧厚田村へ到着しまして、この厚田村は平成の大合併と言われた財政見直しにより浜益村とともに石狩市へ合併されました。
中央バスの厚田支所前を降りると案内板があり、横綱吉葉山の故郷が証明されています。
浜益方面へ向かったところに厚田公園があり、ここはスキー場やキャンプ場があり1観光地として賑わいを見せています。
その一角に石狩市厚田資料室というのがあり、厚田出身の著名人などの資料が残されています。
その厚田資料室へ足を運んだ訳ですが…。
オープン準備中でリニューアル作業が寒暖の影響で遅れてましたが私の我がままを聞いてもらい資料データのみ採取させていただきました。
4人をつなぐ舫いの糸をたぐって、この横綱吉葉山は昭和13年夏場所に当時の高島部屋へ入門し初土俵を踏み、昭和22年6月場所新十両、その間幕下時代に徴兵へ取られ6年のブランクを経て戦後復員し、その後新入幕を果たし、昭和26年に大関へ昇進し昭和29年初場所に念願の初優勝を果たし場所後に横綱へ昇進するも急性肝臓炎から足首のけがで突如全休、その翌場所も途中休場と横綱として2桁勝ち星はわずか4回と結局史上初の横綱として1度も優勝が無く力士生命を終える事となりました。
引退後は、年寄吉葉山を襲名しその後宮城野を襲名し、第24代横綱鳳谷五郎以来途絶えていた宮城野部屋を再興しました。
この宮城野部屋は、現在横綱白鵬が在籍してるのは御存じ上げる事ですが、吉葉山が再興以来、広川から竹葉山(現熊ヶ谷親方)、そして先々代宮城野の広川の娘婿である元十両・金親へと継承され現在に至ってます。
この厚田地区からあらゆるところに吉葉山のゆかりの地が残されています。
この国道231号線を浜益・留萌方面へ5キロほどのところに吉葉山の生家はかつてありました。
4人の故郷も地図で案内されてます。
この厚田資料室では4人の偉人について語られています。
これが国道231号線の浜益・留萌方面です。この道を北上すると吉葉山の故郷・安瀬にたどり着きます。
厚田公園にある戸田城聖の生家です。
戸田城聖生家において吉葉山についても語られてます。
厚田公園を更に登ると恋人の聖地という城がありアベックらで賑わってます。
恋人の聖地の鐘が掲げられています。
恋人の聖地の展望台へと登りオロロンラインへ向かう日本海を一望です。
恋人の聖地の展望台の山側を望むとスキー場があり、これから桜が見頃となる季節を思わせるところに思いました。
これは、浜益方面へ向かう日本海で横綱吉葉山の生家があった安瀬へ向かう方向です。
恋人の聖地のの案内が掲げられ、北海道認定第1号として各地にも置かれているそうです。
あいロード夕日の丘まで参りました。安瀬、濃昼方面の案内もされてます。
あいロード夕日の丘にはライダーや観光客らで賑わいを見せてます。
あいロード夕日の丘の北側にはにしん街道の木碑が掲げられてます。
あいロード夕日の丘にある石碑です。
日本海の夕日をバックにあいロード夕日の丘の石碑が建ちます。
横綱吉葉山の母校、厚田小学校です。ここにはかつて土俵が残されていたと語られます。
厚田小学校の校門です。吉葉山はかつて通われてたと語られます。
厚田小学校のグラウンドです。手前の塀は開校当時からあるものと思われます。
昭和11年10月北海道行幸記念と掲げられ残されてます。
昭和12年12月に建てられた厚田尋常高等小学校同窓会が建設されたものだそうです。
歴史が語られます。
厚田小学校の体育館です。このあたりに長い間土俵があったと語られ吉葉山は稽古に励んだと語られます。
長年の居住者はかつてあった土俵についての記憶を語ってます
厚田村出身者のポスターが掲げられてました。
横綱吉葉山こと、池田家の本家とされる本照寺に参りました。吉葉山の生家は既に跡形も無く厚田村では雄一吉葉山の形跡が残されているものと思われます。
この時丁度寺の横でおばあさんが庭の掃除をされてたところ聞く事が出来ました。
これはその池田家先祖の墓とされ吉葉山一族を支えるものとされてるそうです。
最後はバスの中での撮影となりましたが、非常に素晴らしいと言われる日本海に沈む夕日を撮る事が出来ました。
取材は5月3日とまさに3年振りのゴールデンウィークの旅行となり本格的な旅行再開の第1段となりましたが、厚田村は2006年にとなりの浜益村と合併され石狩市厚田となりました。
その中で、私の強烈な印象は日本海取れたての海の幸を味わえたのは感動でした。それも朝市においても販売され非常に賑わいを見せています。
私にとりましてもこの取材は更なる総力へと努力いたしますので今後もどうぞご期待下さい。 |