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元関脇長谷川の秀ノ山親方の故郷を訪ねる。 |
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| 先日私は、なかなか公開されていないインターネットからのわずかな情報を手掛かりに行って参りました。それは、またまた岩見沢でありますが、今度は23年振りの万字線エリアとなりました。 この万字線といえば炭鉱で栄えた街であり石炭輸送の目的から当時の国鉄万字線が明治45年に着工され大正3年11月に軽便鉄道として、志文ー万字炭山間が開業しました。その後旅客輸送も併行することとなりその中で万字の人口は5570人、美流渡は10261人にまで伸びその後昭和30年代後半からは相次ぐ炭鉱閉山と共に下り坂へと向かいまして昭和60年3月31日、国鉄万字線は廃止され使命を終えました。 その後は並行する中央バスに転換され役割を担いましたが当初は万字線エリアのメインストリートとも言える美流渡止まりと万字炭山までの便に別れてましたが最近では人口の激減からほとんどの便が毛陽交流センターまでで万字炭山は当初「万字局前」という停留所名から最近は「寿町」に改められ3往復は毛陽より先の旧万字駅の「万字簡易局前」が終点となってます。このバス路線は昭和25年から運行されてます。万字炭山エリアはほとんど人家がなく小学校も廃校となり役割はほとんどない模様です。 2006年3月に岩見沢市と合併した栗沢町美流渡から元幕内力士が出た事がありました。それは昭和35年春場所初土俵、昭和38年初場所新十両、昭和40年初場所新入幕を果たした元関脇長谷川戡洋(現秀ノ山親方)であります。長谷川は元琴錦の当時の佐渡ヶ嶽親方の弟子として元横綱琴桜の先代佐渡ヶ嶽親方や元大関琴風の尾車親方と兄弟弟子でもありまして特に昭和47年春場所には12勝3敗で優勝決定戦で魁傑(現放駒親方)を寄り切って優勝を果たしこの3場所で8勝、10勝、12勝と大関昇進当確でありながら大関が4人在籍という運の悪さや3場所の合計が30勝止まりということから見送られるはめでした。またその後昭和51年初場所の初日に史上初の1000回出場を白星で飾るなどという歴史に残る名関脇といえましたが既に最大のチャンスを逃がしてたかのようなところで2度と大関のチャンスは訪れず昭和51年夏場所に引退し年寄秀ノ山を襲名しました。
40年以上の歴史を持つ温泉でこの日は25度を超える暑さで非常に身も心も癒された時間でした。 この日の温泉は客もまばらでほぼ貸切の状態で時間を忘れる一時で絶景のロケーションであります。 帰りは夕暮れの石狩平野を眺めながらの帰還というこれまでにない取材といえたと思います。 またこのような取材が出来たらというところです。 |
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