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横綱北の湖との猛稽古により横綱も夢でなかった元大関北天佑の故郷室蘭市を訪ねる |
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今回は横綱北の湖(現親方・元理事長)の弟弟子であり援護射撃に貢献、そして無敵の横綱千代の富士(現九重親方)との対戦も一番多く、千代の富士キラーへ貢献し横綱も夢でなかった故元大関北天佑の故郷、室蘭市石川町を訪ねました。![]() バスを降りて目の前に廃棄物処理場がありそのとなりにはリサイクルプラザという施設があります。ここはバスを待つ客のために儲けられた設備も完備してます。 この石川町を歩きますと人家も少なくまさに農家世帯が多い中で人通りは全くと言っていいくらいありません。 大関北天佑は本室蘭中学校を卒業後昭和51年春場所に初土俵を踏み末は大関・横綱と横綱北の湖と東西に並べるのが夢と当時の三保ヶ関親方(元大関初代増位山が口ずさんだと語られます。 しかし、昭和56年暮れの特別番組で右足首を負傷し翌57年初場所は全休となりその右足首のサポーターは引退まで取れることはありませんでした。 そして遠回りをしながら昭和57年秋場所から5場所連続三賞受賞から58年夏場所に念願の初優勝を果たし場所後に大関昇進を果たしました。 大関昇進後はすぐにも横綱と期待されるも目先にこだわる土俵が多くなるも、昭和59年夏場所13日目には、優勝争いに絡む横綱隆の里(現鳴戸親方)を下し、兄弟子である横綱北の湖(現親方)の24回目の優勝の援護射撃をし土俵下の北の湖が北天佑を見て苦笑いをしたのが歴史上語られてます。 それからは、横綱千代の富士と一番対戦が多かったと言われてますが、その中での千代の富士キラーとしての貢献度から、翌昭和60年名古屋場所には大関初優勝と横綱も期待されながら昭和62年春場所に小錦戦で小錦の体の下敷きになるように膝を負傷し取り直しとなり、その痛みを押し切っての土俵もあっけなく土俵を割られ、その後は糖尿病も患い平成2年秋場所、旭富士(現伊勢ヶ濱親方)が横綱へ昇進し自分も頑張ろうと思った矢先、角番でもないのに4連敗となっての引退と非常にあっけないところでした。 新聞紙上では「綱の未練」と語られ北勝海(現八角親方)や大乃国(現芝田山親方)より早く横綱になると誰もが思いながら夢は叶いませんでした。 そして、引退後は5年後の平成7年に内弟子6人を連れて二十山部屋を起こし17年名古屋場所にはロシア出身の白露山が新入幕を果たし念願の幕内力士が誕生しましたが、平成18年春場所中に体調不良を訴え入院し精密検査の結果は多発性肝硬変と診断され既に癌の末期というのもあり同年6月23日肝臓癌のため、入院先の病院で亡くなりました。享年45歳でした。 その後、当時の二十山部屋の力士は兄弟子の北の湖部屋へ吸収され在籍力士はそのまま確保されました。 この北天佑の故郷、室蘭市石川町は廃棄物処理場や農家世帯が多く、私がバスを降りた時も何もないのに驚くばかりで室蘭市民や石川町の住民の方達からの聞き込みなどと御協力には非常に感謝で一杯でございます。 当時大関昇進時は本輪西においてパレードをされたという情報も頂きました。 |
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| 取材日 | 平成23年5月4日(水) |
| 北天佑 勝彦 | |
| 大相撲北海道発 | |
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