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東京赤坂の大関雷電の墓がある報土寺を訪ねる |
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| この度の本州進出で、現代なら間違いなく横綱という大関が居ました。それは天明8年7月場所初土俵、寛政2年11月場所初優勝、寛政7年3月に大関昇進となり大関を16年半守った名大関・雷電為右衛門の墓がある赤坂の報土寺を訪ねました。
東京メトロ赤坂駅から歩くこと10分ほど、こちらのあるところは非常に急な坂から分岐点となったところに報土寺はあります。 文化8年2月に引退するまで大関としての通算成績は200勝8敗と幕内優勝相当成績28回は大関としては最多で、その次に2代目貴乃花(後に横綱、現親方)、大関止まりの力士では最多からそれに次ぐのは魁皇(現浅香山親方)であり、歴史上最強の大関とされてます。 その雷電がなぜ横綱へ推挙されなかったか、それは当時雷電を抱えた出雲松江藩主松江冶卿と横綱免許の実権を握る吉田司家を家臣に持つ肥後熊本藩主との間のわだかまりから横綱を断たれたと語られてます。 現在はその制度は廃止され日本相撲協会そのものが推挙する制度となったためこのようなことは考えられません。 ![]() その千葉県佐倉市の浄行寺にも雷電の墓と称されるものがあるそうです。 |
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| 取材日 | 平成25年1月1日(火) |
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