65代 |
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貴乃花 光司 |
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| 所属部屋 | 二子山部屋 |
| 本名 | 花田光司 |
| 生年月日 | 昭和47年8月12日 |
出身地 |
東京都中野区本町 |
| 四股名改変 | 貴花田→貴ノ花→貴乃花 |
| 所属部屋改変 | 藤島→二子山部屋 |
| 初土俵 | 昭和63年3月場所 |
| 十両昇進 | 平成元年11月場所 |
| 新入幕 | 平成2年5月場所 |
| 大関昇進 | 平成5年3月場所 |
| 横綱昇進 | 平成6年11月 |
| 最終場所 | 平成15年1月場所 |
| 幕内在位 | 75場所 |
| 幕内通算 | 701勝217敗201休 |
| 勝率 | 0.764 |
| 優勝 | 22回 |
| 三賞 | 殊勲賞4回、敢闘賞2回、技能賞3回 |
| 身長 | 185cm |
| 体重 | 160kg |
| 得意手 | 右四つ、寄り切り、上手投げ |
| 年寄名 | 貴乃花(一代年寄)→平成30年10月1日退職 |
| 没年月日 | |
| 叔父は土俵の鬼と言われた元横綱初代若乃花、父親は角界のプリンスと言われた元大関初代貴ノ花である。兄3代目若乃花とともに1時代を築きスピード出世と関取から新入幕、三役、金星、三賞、優勝、大関と最年少記録を塗り替え平成3年夏場所初日の横綱千代の富士との一番で寄り切りで倒すという大金星を上げて親子2代に渡って大横綱を引退へ追い込ませるという歴史に残る快挙を成し遂げる。平成5年初場所後に大関昇進と共に「貴ノ花」と改める。それから北の湖が持つ最年少横綱記録更新と思いきや横綱曙という大きな壁に何度もはね返され優勝6回ながらに横綱昇進を見送られ平成6年九州場所に「貴ノ花」の「ノ」の字を初代若乃花の「乃」の字に改め貴乃花となりその場所の千秋楽結びの一番に曙との一戦は逆転また逆転と手に汗握る歴史に残る大一番となり見事制して横綱へ昇進すると30連勝を成し遂げるもその後の連勝記録は伸びる事はなかったが気が付くと優勝22回と大鵬や北の湖の優勝記録を追い抜くと思わせる勢いであったが平成13年夏場所14日目の大関武双山(現藤島親方)戦で巻き落としに敗れると右膝半月版を損傷し翌千秋楽は異例の不戦勝で優勝が決まるのではと思いきや強行出場に世間を騒がせ本割では武蔵丸(現武蔵川親方)にあっさり負けて優勝決定戦へ持ち込まれ武蔵丸を左からの上手投げで決めて自身最後となる22回目の優勝を決めた時の表彰式で当時の小泉主相が「痛みに耐えて良く頑張った、感動した」と絶賛。その後は膝の半月版損傷という大怪我は大きく7場所連続休場とフランスへ渡り手術をするなどと再起を図ったが復帰となった平成14年秋場所は武蔵丸と優勝争いとなるも前年の借りを返された。その翌九州場所も全休とこの年は1場所しか出場しないというワースト記録更新後平成15年初場所に再起を掛けて出場も途中休場から異例の再出場も平幕の安美錦にあっさり土俵を割られて翌日に引退を表明する。平成の大横綱は身も心もボロボロにして力尽きた。平成13年夏場所千秋楽にもし休場して武蔵丸に不戦勝による優勝を許したらまだ1〜2年は長く取れたように思うばかり。引退記者会見では「悔いはありません、すがすがしい感じです。…、横綱になれるとは思わなかったです。」とコメントを残し一代年寄貴乃花を襲名し二子山部屋を貴乃花部屋と改めて継承するもその1年後に父である当時の二子山親方の死という悲劇が重なったが師匠としての期待が掛かる。平成20年2月の改選で現在は審判部副部長。平成22年2月には二所ノ関一門から離脱して理事へ立候補し当選し相撲教習所担当となり、その後巡業部長となるも日馬富士から貴ノ岩への暴力騒動による不祥事により理事から役員待遇へ2階級降格となり、平成30年秋場所千秋楽直後の9月25日に退職を表明し、貴乃花部屋は千賀ノ浦部屋へ吸収された。これによって初代若乃花から築いた二子山部屋から藤島部屋と至る歴史が途絶えた。 横綱へ30連勝 現役クライマックス |
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