| 73代 | |
| 照ノ富士 春雄 | |
| 所属部屋 | 伊勢ヶ濱部屋 |
| 本名 | ガントルガ・ガンエルデネ→杉野森正山 |
| 生年月日 | 平成3年11月29日 |
出身地 |
モンゴル国ウランバートル市 |
| 四股名改変 | 若三勝→照ノ富士 |
| 所属部屋改変 | 間垣→伊勢ケ浜 |
| 初土俵 | 平成23年5月技量審査場所 |
| 十両昇進 | 平成25年9月場所 |
| 新入幕 | 平成26年3月場所 |
| 大関昇進 | 平成27年7月場所→平成27年11月場所関脇へ陥落→令和3年5月場所大関へ復帰 |
| 横綱昇進 | 令和3年7月 |
| 最終場所 | 令和7年1月場所 |
| 幕内在位 | 52場所 |
| 幕内通算 | 366勝207敗197休 |
| 勝率 | 0.639 |
| 優勝 | 10回 |
| 三賞 | 殊勲賞3回、敢闘賞3回、技能賞3回 |
| 身長 | 192cm |
| 体重 | 176kg |
| 得意手 | 右四つ、寄り、上手投げ |
| 年寄名 | 照ノ富士 |
| 没年月日 | |
| 平成21年に鳥取城北高校に留学し高校総体の団体で優勝すると平成22年に元横綱2代目若乃花の間垣部屋へ入門、若三勝という四股名は当時の間垣親方が大関まで「若三杉」に因んでの四股名であった。そして平成25年3月で間垣部屋閉鎖とともに伊勢ケ浜部屋へ吸収され照ノ富士と改名、これは伊勢ケ浜部屋由来の照国と師匠の旭富士を付けてのものである。 十両昇進後は優勝を果たし新入幕を果たすと蜂窩織炎と苦しい状況の中で1度は負け越したもの上位安泰で三賞を受賞し平成27年春場所は関脇は昇進し13勝と優勝次点、夏場所は大関取りから中盤で苦戦するも念願の初優勝を果たし、関脇の優勝は平成12年初場所の武双山(現藤島親方)以来15年振りとなり場所後大関へ昇進。更に上を目指すという意気込みで所要25場所と歴代3位の快挙となる。平成27年名古屋場所は左ひざ半月板損傷で途中休場し翌秋場所は回復が思わしくなく途中休場で大関から陥落。大関在位は14場所で止まる。陥落後は糖尿病の悪化で休場が続き、大受、雅山(現二子山親方)、把瑠都に次いで4人目の元大関の十両陥落となり、その後も思うような相撲は取れず史上初の幕下陥落となり、更には幕下でも全休と両膝の手術となり、史上初の三段目にまで番付を下げ、更には序二段48枚目まで番付を下げ、過去に江戸時代に大関大渡が明和5年(1768年)9月に大関へ付け出しから、2場所後の明和6年4月に当時の四段目(現序二段)筆頭に落とされた例があり、250年振りのこととなる。 平成最後の場所となった31年3月場所にようやく出場を果たし7戦全勝と優勝は逸したが三段目49枚目へ番付を戻し、令和元年九州場所は西幕下10枚目へ番付を戻し見事十両優勝を果たし令和2年7月場所には1年半振りに幕内復帰を果たし史上2人目の大関経験者の陥落後の優勝を幕尻で果たし、令和3年春場所は関脇に返り咲き史上初の序二段陥落から3年半振りに大関復帰を果たした。 大関復帰後も早々に優勝から翌名古屋場所には進退をかけた横綱白鵬との全勝対決に敗れるも場所後に横綱昇進を果たす。同時に日本国籍を取得。令和4年1月場所は栃木山以来103年振りの横綱昇進からの3連覇を逸した。その後は糖尿病や膝の影響もあったりと休場があったりだったが10度の優勝を果たした。 |
|