49代 |
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栃ノ海 晃嘉 |
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| 所属部屋 | 春日野部屋 |
| 本名 | 花田→宮古茂広 |
| 生年月日 | 昭和13年3月13日 |
出身地 |
青森県南津軽郡田舎館村川部 |
| 四股名改変 | 花田→栃ノ海 |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 昭和30年9月場所 |
| 十両昇進 | 昭和34年1月場所 |
| 新入幕 | 昭和35年3月場所 |
| 大関昇進 | 昭和37年7月場所 |
| 横綱昇進 | 昭和39年1月 |
| 最終場所 | 昭和41年11月場所 |
| 幕内在位 | 40場所 |
| 幕内通算 | 315勝181敗104休 |
| 勝率 | 0.635 |
| 優勝 | 3回 |
| 三賞 | 敢闘賞1回、技能賞6回 |
| 身長 | 177cm |
| 体重 | 110kg |
| 得意手 | 左四つ、上手出し投げ、両前まわし取り、寄り切り |
| 年寄名 | 栃ノ海→中立→春日野→竹縄→平成15年3月停年退職 |
| 没年月日 | 令和3年1月29日 |
| 身長は185cmと長身で体重150キロ前後の柏鵬を相手に横綱として例外な小兵でありながらの正攻法の技能相撲で対抗した。左差し、右おっつけでの速攻相撲、両差しとなると肘を貼り相手の上体を浮かせてあおって出ながら切り返して崩して寄り切るという両前回しを引けばおがみ押しで攻めるという技能だけは栃錦以上と言われたが椎間板ヘルニア、右上腕筋膜断裂と故障が続き横綱昇進2場所目の優勝は師匠を上回る記録となるもその後は勝ち越しても8勝止まりが多く横綱らしいこれと言った相撲を取れなかったのは惜しまれる。引退後は年寄中立を襲名し長年春日野部屋付きとして勤めたが師匠没と共に春日野部屋を継承した。 | |