56代 |
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若乃花 幹士(2代) |
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| 所属部屋 | 二子山部屋 |
| 本名 | 下山勝則 |
| 生年月日 | 昭和29年4月3日 |
出身地 |
青森県南津軽郡大鰐町居土 |
| 四股名改変 | 下山→朝ノ花→若三杉→若乃花 |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 昭和43年7月場所 |
| 十両昇進 | 昭和48年7月場所 |
| 新入幕 | 昭和48年11月場所 |
| 大関昇進 | 昭和52年3月場所 |
| 横綱昇進 | 昭和53年5月 |
| 最終場所 | 昭和58年1月場所 |
| 幕内在位 | 55場所 |
| 幕内通算 | 512勝234敗70休 |
| 勝率 | 0.686 |
| 優勝 | 4回 |
| 三賞 | 殊勲賞2回、技能賞4回 |
| 身長 | 186cm |
| 体重 | 129kg |
| 得意手 | 左四つ、上手投げ、外掛け |
| 年寄名 | 若乃花→間垣(平成25年12月19日退職) |
| 没年月日 | 令和4年7月16日 |
| 幕下から大関まで若三杉を名乗る。下積み時代は怪我が多く肝炎にも悩まされたが、後に上手投げにこだわる相撲から右上手を引き付けてのよりに転身し力を付けて横綱昇進直前に北の湖(故人)との対戦で相手を上を相手の上手を切る為肋骨に皹が入るほどまわしを硬く締める懸念を見せる。その昭和53年春と夏は北の湖と最後まで優勝を争いいずれも優勝決定戦に敗れるも相撲内容が良く横綱昇進となりこれを機に2代目若乃花幹士を襲名する。横綱3場所目には全勝優勝を挙げ当時の二子山親方の長女と結婚し二子山部屋継承を約束されながら離婚しクラブのママと再婚。それからは頚椎捻挫などと怪我の連続からの失速と30歳に至らずの引退となった。 引退後は間垣部屋を創設し五城楼(現浜風親方)を幕内へ育て上げ、後に理事となり公傷制度廃止を手掛けたりとしロシア出身の若ノ鵬を育て期待が掛かったが平成20年8月に大麻所持容疑で警視庁に逮捕され大相撲界から史上初の現役力士逮捕による解雇処分という永久追放から師匠としての責任から理事を辞任し委員へ史上初の2段階降格となる。 その後二所ノ関一門を離脱し貴乃花グループとなるが脳出血の影響で間垣部屋を閉鎖、伊勢ケ浜部屋へ吸収された。 |
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