66代 |
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若乃花 勝 |
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| 所属部屋 | 二子山部屋 |
| 本名 | 花田勝 |
| 生年月日 | 昭和46年1月20日 |
出身地 |
東京都中野区本町 |
| 四股名改変 | 若花田→若ノ花→若乃花 |
| 所属部屋改変 | 藤島→二子山部屋 |
| 初土俵 | 昭和63年3月場所 |
| 十両昇進 | 平成2年3月場所 |
| 新入幕 | 平成2年9月場所 |
| 大関昇進 | 平成5年9月場所 |
| 横綱昇進 | 平成10年5月 |
| 最終場所 | 平成12年3月場所 |
| 幕内在位 | 58場所 |
| 幕内通算 | 487勝250敗124休 |
| 勝率 | 0.661 |
| 優勝 | 5回 |
| 三賞 | 殊勲賞3回、技能賞6回 |
| 身長 | 180cm |
| 体重 | 134kg |
| 得意手 | 左四つ、寄り切り、上手投げ |
| 年寄名 | 藤島→平成12年12月18日退職 |
| 没年月日 | |
| 角界のプリンスと言われた元大関故初代貴ノ花の先代二子山の長男であり元横綱初代若乃花の甥であり、元横綱貴乃花親方の兄である。魁皇、曙と同期で昭和63年春場所に初土俵を踏み弟の貴乃花と共に新序出世を果たし順調に昇進を重ねるも常に弟の貴乃花に先を越されるも平成2年春場所に弟に遅れじと念願の関取の座を手に入れ同年夏場所は弟・貴花田が新入幕を果たすも足の怪我も影響して4勝11敗と大敗し1度十両への陥落と入れ替わって同年秋場所に念願の新入幕を果たし見事に勝ち越しようやく弟の番付を超える。体は小兵ながら左右の強烈なおっつけやハズ押しなど初代若乃花を思わせるの相撲のうまさがあり平成5年初場所後に弟・貴花田が大関昇進と共に貴ノ花と改め、翌春場所は奮起するかのように14日目に念願の初優勝を決めそのときのインタビューで「大関(貴ノ花)が負けたので…」というコメントを残しながら千秋楽は大関から陥落したばかりで不調であった霧島(現陸奥親方)を破り14勝1敗での優勝に花を添えこれまでは弟・貴ノ花の優勝パレードの旗手を務めた若花田が今度は優勝パレードの主役となり子の場所新大関の貴ノ花が旗手を務めるという逆の光景となるも弟・貴ノ花も兄の優勝を祝福した。翌夏場所は大関取りを掛けて四股名も叔父の四股名「若ノ花」を襲名するもこの場所の千秋楽に大関・小錦との一番で互いに頭から当たってぶつかるも最後土俵際での小手投げで小錦と若ノ花がほぼ同時に倒れて物言いかと思いながら物言いが付かず結局小錦に軍配が上がりこれまで3場所の勝ち星も34勝ながらに大関昇進が見送りとなり名古屋場所にリベンジを掛けて13勝2敗で優勝同点ととこれまで3場所の勝ち星が37勝と文句なしの大関昇進当確となり曙と貴ノ花との優勝決定巴戦と兄弟対決実現と思いきや結局曙に押し倒され兄弟対決は実現しなかったが大関昇進を手にする。 大関昇進後は優勝争いに加わりながらも離脱してしまうケースが多くなったり更には怪我も重なりながら平成7年九州場所千秋楽には弟の横綱貴乃花が大関武蔵丸に負けて更に若乃花が関脇武双山(現藤島親方)に負けて史上初の兄弟対決ともなる夢にまで見た貴乃花との優勝決定戦は弟・貴乃花を倒し大関初優勝となる。それからも怪我が度重なり引退の危機にまでぶつかるも平成10年春と夏の連覇を果たし弟に遅れること3年半、ついに念願の横綱へ昇進し史上初の兄弟横綱が誕生した。また、土俵入りは自ら不知火型を選択し汚名返上を図ったが横綱昇進後も怪我が度重なり11年秋場所には休場明けながら10日目に左足の肉離れを起こし休場を勧められるも強行出場し結局7勝3敗から5連敗で大乃国(現芝田山親方)以来10年振りの横綱皆勤負け越しとなりこの場所を以って引退か?と思われるも翌場所から2場所連続休場し再起を掛けて12年春場所に挑んだが5日目に栃東に敗れて引退を表明し年寄藤島を襲名したがこの年の暮れを以って退職しタレントへ転向し「Chanko Dining 若」を経営したが平成22年春破産宣告を受けた。 第66代横綱3代目若乃花 |
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