44代 |
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栃錦 清隆 |
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| 所属部屋 | 春日野部屋 |
| 本名 | 大塚→中田清 |
| 生年月日 | 大正14年2月20日 |
出身地 |
東京都江戸川区東小岩 |
| 四股名改変 | 大塚→栃錦 |
| 所属部屋改変 | |
| 初土俵 | 昭和14年1月場所 |
| 十両昇進 | 昭和19年5月場所 |
| 新入幕 | 昭和22年6月場所 |
| 大関昇進 | 昭和28年1月場所 |
| 横綱昇進 | 昭和29年10月 |
| 最終場所 | 昭和35年5月場所 |
| 幕内在位 | 52場所 |
| 幕内通算 | 513勝203敗1分44休 |
| 勝率 | 0.716 |
| 優勝 | 10回 |
| 三賞 | 殊勲賞1回、技能賞9回 |
| 身長 | 177cm |
| 体重 | 132kg |
| 得意手 | 左四つ、寄り切り、上手出し投げ |
| 年寄名 | 春日野 |
| 没年月日 | 平成2年1月10日 |
| 下位の頃は100キロに満たない小兵で舞の海ばりにたすき反り、はりま投げを技とし土俵の名人マムシと呼ばれる。幕下までは優勝経験もなくこれといった期待はなかった。しかし、昭和19年5月に新十両で勝ち越した時も戦時下であまり目立たず同年9月に兵隊に取られ横須賀の海兵団であった。その海軍は相撲が盛んで稽古をつけてもらい逆に強くなって戦後復員し春日野部屋へ復帰した。そこから、幕内へは左差しからの内掛け、出し投げ、二枚蹴り、打っ棄りや首投げ、たすき反り、はりま投げなども見せた。そして、昭和27年9月場所の初優勝と場所後の大関昇進。更には30年5月場所に横綱初優勝とそこへ立ちはだかる初代若乃花も負けじと横綱まで掛け上がり「栃若時代」を築き名勝負を繰り返し正攻法で白星を重ねた。 引退後は年寄春日野として部屋を継承し横綱栃ノ海、関脇栃乃和歌らの関取を育て、審判部、事業部長を歴任し、後に相撲協会理事長を14年間務め大相撲の国際化や新国技館建設と長年貢献した。 また、栃錦につきましては大相撲こんな事・栃若時代、そして一時代を支えた横綱栃錦銅像がある小岩駅を訪ねるをご覧ください。 |
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